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| はじめに |
| 製本に取り掛かったものの、文才のない小生、まして一番苦手な歴史ときては、やたらといじくり回して史実を損なうような事があってはいけないと思い、叔父上(川上
豊)の記録を忠実に写すことのみを心掛けた。 中には重複している部分、文脈に合わない箇所もあるが、そこはかえって読む人の復習になっていいのではないかとそのままにした。 本当は、原稿を叔父上に送って校正をしてもらうべきだが、叔父上は、現在視力も低下してこれ位の文字は読めないのです。読者の皆様にお許しをお願い致します。 副題の「どんく」も叔父上の希望で、それに「つぶやき」を加え「どんくのつぶやき」とした。表紙「どんくのつぶやき」の文字は、叔父に無理に頼んで書いてもらったもので、病床で見えにくい眼でほとんど勘で書いたのだそうだ。 | ||
| 鶴長 研治 |
| 「深海の方言」ホームページの誕生について (平成14年5月11日開設) |
| このホームページの誕生のきっかけは、平成13年8月14日(火)「深海小学校昭和38年度・中学校41年度卒業生同窓会」に案内を受けた事が始まりです。欠席者の中に「脇○正○」君がいました。そして、ホームページを開いているから・・と書いてありました。同窓会終了後、会の様子をメールで知らせたことから脇正君との「通信教育」が始まりました。この基本は総て脇正君が作製してくれたもので未だにサーバーは脇正君に居候の状態です。私は彼達の小学一年生の担任でした。その彼が今では私のPCの先生です。現在、彼が作ってくれたHPのその中身をいじくっているだけです。お陰である程度のことは出来るようになり感謝している次第です。(彼はBBSではWさん、また彼のHPでは黙孤子で出てきます) |
| 目次 |
| 1-1 | 深海 ノスタルジー | |
| 1-2 | 黎明の群像・小見山七十五郎の生涯 | |
| 1-3 | 深海の歴史を誌するに当たって | |
| 1-4 | 深海のえらかふと | |
| 1-5 | わるごろ | |
| 1-6 | 「口脇 諸作」のこと | |
| 1-7 | 「崎口 弥平」のこと | |
| 1-8 | 磯女の噺 | |
| 1-9 | 藤川校長先生のこと | |
| 1-10 | 多田蔵人行綱神社の跡 | |
| 1-11 | 深海の神社と寺(その1) | |
| 1-12 | 深海の神社と寺(その2) | |
| 1-13 | 深海の神社と寺(その3) | |
| 1-14 | 深海の神社と寺(その4) | |
| 2-1 | 深海の地名(その1) | |
| 2-2 | 深海の地名(その2) | |
| 2-3 | 天草の深海(その1) | |
| 2-4 | 天草尚種と長島経営 | |
| 2-5 | 六郎次山 | |
| 2-6 | 木地師の由来書 | |
| 2-7 | 深海の人口の推移 | |
| 2-8 | 天草の深海(その2) | |
| 2-9 | 明治10年西南の役について | |
| 2-10 | 肥後国深海村市左衛門旧離帳外之伺書 | |
| 2-11 | 流人 | |
| 2-12 | 下平、出火の事 | |
| 3-1 | 牛深市の地名(その1) | |
| 3-2 | 牛深市の地名(その2) | |
| 3-3 | 牛深市の町名 | |
| 3-4 | 牛深市の地名(その3) | |
| 3-5 | 境界を知らせる地名の島 | |
| 3-6 | 海に関する地名 | |
| 3-7 | 深海の囃し唄 | |
| 3-8 | 深海に移住して来た武士たち | |
| 3-9 | 山ん神祭り | |
| 3-10 | 牛深市の村高 | |
| 3-11 | 天草乱前後の村高 | |
| 3-12 | 寺沢領時代と島原天草の乱 | |
| 3-13 | 島原天草の乱後の天草 | |
| 3-14 | 小西行長 | |
| 3-15 | 深海の中世 | |
| 3-16 | 島津家の事 | |
| 3-17 | 庄屋について | |
| 3-18 | 肥後国早浦村丈八の帰住の伺い書 | |
| 3-19 | 院号・法名について | |
| 3-20 | 丸目蔵人佐長恵 | |
| 3-21 | 椎ノ木崎遺跡(案内) | |
| 3-22 | もろもろの事 | |
| 資-1 | 深海の年中行事 | |
| 資-2 | 深海の言葉 | |
| 資-3 | 「どんくのつぶやき」文献一覧 | |
| 資-4 | 著者の原稿(実物大) | |
| 資-5 | 著者について | |